自死遺族になった日〜僕の歩んだ10年と今〜

自死遺族

「自死」とは自ら死を選んだ人を意味し、昨今になって「自殺」という言葉からこの「自死」という言葉に置き換わってきました。自らを殺したというよりも自ら死を選んだという方が本人の意思を尊重していると認識されてきたからです。

この記事を目にしている方の中にはあまり耳慣れない言葉だと思う方もいるかもしれませんが、その数は年々増え続けている事をご存知でしょうか。

自死遺族とは、文字通り自死によって遺された家族の事を指しています。2022年に自死した人の数は2万1881人(厚生労働相発表値)です。その人の家族ということですから、私たちが想像している以上に、この自死遺族は多いのだと思います。

そして、私自身も自死遺族の一人なのです。

私は10年前、母を自死で亡くしました。10年経って、様々な感情を経て、ひとつ乗り越えたと感じています。この経験が同じような経験をした方の一助になればという思いで、その当時の気持ち、そして10年たった今の気持ちを改めて書き記したいと思います。

母と私と弟

私が小学生の頃、両親は離婚し、私と幼い弟の2人は母の手ひとつで育てられました。

昼間は美容師として、夜は近所の飲食店で深夜まで働き、文字通り千鳥足で帰って来たこともありました。そんな母に反抗することもなく、5つ下の弟の面倒を見ながら中学、高校、専門学校へと進学し、不自由も無く学生生活を過ごしてきました。

当時は反抗する暇も余裕も無かったのかもしれませんが、今思えば、2人の男児を不満なく育てた母はすごい人だったと感じています。不自由無く生活できていたのも全てが母のおかげだったと感じています。

実家を離れて

私が就職し、家を離れた後に弟も自分の夢を叶えるために同じく家を離れました。

母は、長い子育てに終わりをつげ、ようやく落ち着いた時間を過ごせるはずだ。私は、そう感じていました。夜の仕事はやめ、美容師の仕事だけをしながらのんびりと過ごしていたのを覚えています。

母がのんびりと過ごせるようになった一方で、私は仕事が忙しく、心の余裕を失っていきました。母への連絡も、会いに行くこともなかなかできずに、あっという間に数年が経っていきました。

そんなある日、母から「再婚する」というメールが来ました。「あぁ、良かった。きっと今までの苦労が報われる。母もやっと幸せになれる」と私は心から安心してました。そして、「また時間ができたら遊びに行くね」とだけ、返事をしました。

私は、安心しきっていたのでした。

母からの連絡

それから数年後、母から1通の不在着信がありました。母に会うのは年に1、2度ほどで、あとはメールでのやり取り程度でした。「電話なんて、珍しいな」と思って、忙しい仕事の合間に折り返しの電話をかけました。

電話の先で母は、何か言いたげな雰囲気でしたが、特に何かを言うわけではありませんでした。

「ごめんね、今、忙しいから、長くなりそうならまた後でかけ直すね」

そう言って切った私は電話を切りました。 それが、母との最後の会話になりました。

数日後、母の夫から電話がありました。

「あなたの母が自殺した!すぐきてほしい」

頭が真っ白になりました。そして、「母が死んだ?」「自殺?」「数日前に話した時は何も言っていなかったのになぜ?」と疑問が押し寄せてきて頭がパニックになりました。

頭が混乱したまま、とにかく急いで家に駆けつけると、多くの警察車両や救急車、そして、沢山の警察関係者が家を囲んでいました。

母の最期

「家族です」と親族であることを告げ、家に入るとすると、警察の方に遮られました。そして、家に入ろうとすると「親族であってもご遺体に会わせることはできません」と言いました。

「実況見分と司法解剖が終わらないと遺体にも会うことが出来ない。犯罪が絡んでいるかもしれない」という警察の考えも頭では理解できますが、当時の私には到底受け入れられないものでした。とても悲しい想いをしたのを今でも忘れません。

結果的に母に会えたのは、そこから数日経ってからでした。

「なぜ?なんでこうなった?どうして僕らを遺して急に逝ってしまったの?」その想いだけがぐるぐる頭をめぐり、心を支配していきました。

母の最期の想いが少しでもわかるなら、と迷惑を承知で警察の方に色々とお話を聞きました。

母の最期の状況、数日前の行動、職場に聴取した生前の母の様子の印象(聴取した情報は公開できないがその印象を話してくれました)などを聞きました。

その話によると、母は仕事も普通にこなし何一つ不審なこともなく、亡くなる直前まで普段通りに過ごしていたようでした。しかし、その準備は確実に進めていたようで、近所の量販店で自分が逝くための練炭と粘着テープを買い、それを家の中に隠していたようだ、ということでした。そのレシートの日付は、最後に私と電話をした日の数日後の日付でした。

押し寄せる自責と後悔

あの時、私が電話で話を聴いてあげられていれば。「うんうん、そっか。それは辛かったね」と、そう言ってあげられたら。一緒に電話口で泣いてあげられたら。そうしたら、母をひとりで寂しく逝かせる事も無かった。なんであの時、話を聞いてあげなかったんだろう。なんであの時、私には話を聞く余裕が無かったのだろう。そう自分を激しく責めました。

当時の私の心は、自分を激しく責める気持ちでいっぱいで、頭の中は「なぜ母は自死を選んでしまったのか」「自分にできることはかったのか」という後悔の入り混じった疑問でいっぱいでした。そして、ついには心のバランスを崩し、私自身も病んでしまっていました。

自死遺族の苦しみ。それは自責の念と後悔です。

もっと自分がちゃんとしていれば。話を聞いてあげていれば。様子をしっかり見ていれば。愛情を傾けてあげられていれば。たら、れば、と過ぎた過去の苦しみは終わりなく、一生涯続くのです。

しかもその苦しみを世間には見せないように隠さないといけない。そんな今の世間の雰囲気が更に苦しみを助長させています。その計り知れない苦しみを胸に抱えながら生きていくのが自死遺族なのです。

10年の先に

私は、その苦しみの中で10年が経とうとした時に、自分の心にあるひとつの想いに気付くことができました。

それは、考えても「わからない」事がある、ということです。母がどうして自ら逝ったのか、どんな想いだったのか。それは私がどんなに考えてもわからない。そして、到底理解する事はできない。

そして、同時に、そのわからない事に苦しんでいる私と同じ自死遺族の方に、私が寄り添うことで少しでも苦しみを和らげることができないだろうか?という想いも持つようになりました。

自分が味わった苦しみは、もう二度としたくないし、誰にもさせたくない。

私は、使命にも似たような想いに従い、メンタルケアスペシャリストという「話を聴く専門家」の勉強をして、資格を取り、SNSで悩み相談活動をするようになりました。

そして、相談活動をはじめて1年ほどが過ぎた頃に縁があり、話を聴くことに特化したプラットフォームであるLivelyTalkのホストとして活動をしています。

独りではなかった

私がLivelyTalkでの活動を始めてすぐの頃。あるSNSの投稿が話題になりました。

それは歌手である宇多田ヒカルさんが亡き母の命日に投稿したものです。

宇多田ヒカルさんが綴ったことばを紹介します。

「受け入れる」は理解しきれない事象に対してすること。理解できないと理解すること。人が亡くなっても、その人との関係はそこで終わらない。自分との対話を続けていれば、故人との関係も変化し続ける。-宇多田ヒカルツイートより引用-

宇多田ヒカルさんもお母様を自死で亡くされて10年。私の母が亡くなって数ヵ月後の出来事だったのでよく覚えています。これ程まで同じと思えた境遇は、同じ10年という月日を経て同じ想いにたどり着いていた。そう考えると、「あぁ、私は独りでは無かったんだな」と感じたのです。

の声

あの時どうしていれば、なんで気付かなかったのだろう。そうやって自分を責めつづけた10年間。

そして辿りついた「わからないものは、わからない」の境地。何もしてあげられなかった。その時の自分は気付いてあげられなかった。それ以上でも、それ以下でもないのです。理解できないと理解することが、私にとっての救いであり、10年の月日の先に辿りついた想いなのです。

不思議なもので、自責を手放したことで、母との心の繋がりが強くなったように感じます。いつでも心の中に生きていると感じられるようになったのです。

きっと今まさに苦しみの真っ只中にいる自死遺族の方も、いつかは私や宇多田ヒカルさんのような想いに辿りつくのだと思います。同時に、そうであってほしいと願います。

私はその苦しみを乗り越えるための道標になりたい。私自身が「あぁ、ひとりでは無かったんだ」と感じたように、私が話を聴くことで、誰のも話せなかった胸の内を聴くことで、それが進む先の足元を照らし、手を取り合って進む伴走者のような存在になれるのだと信じています。

今日もどこかの誰かの心に寄り添って生きていこうと思います。

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この記事を書いた人

けいのアバター けい LivelyTalkホスト

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